北海道新聞 朝の食卓から

北海道新聞のコラムコーナー「朝の食卓」に2006年1月から2007年12月まで
2年間に渡って投稿してきました。
写真があるとよりイメージしやすいと思いますので、順次写真付きにしていきます。
ご期待ください。


除夜の鐘

 宿のある浦見町から歩いて数分の米町(よねまち) は、
釧路でも古い建物やお寺、神社等が点在 する落ち着 いた
雰囲気の地域です。ただ、正月やお盆、 春夏のお彼 岸には
驚くほどの人や車でにぎわう場所でもあ ります。
 
 宿の恒例行事として毎年大 晦日に除夜 の鐘撞きに行っていますが、
年越しでお泊まりのお客さんには好評の ようです。
 
 年越しの食事を終え、ほろ 酔い加減に なった頃、
多少オーバーなくらい厚着をして外に出 ると、
体験したこともない厳しいシバレが肌を 刺します。
 凍結しすべる足元を気にし ながらお寺 に着くと、
ストーブの入った小屋から「こっち来て あったまり なさい」
と地元の人が声をかけてくれました。

 甘酒 もふるまわられ、やっと頬に赤みが刺してきます。
 初めて鐘を撞く人もいるので、順番を 待ちながら 撞き方の
コツを覚えなければいけません。「あま り力任せに 撞かないように」
との注意を受け、おそるおそる撞き棒を 放つと、
凛とすみわたった夜空に「ゴ〜〜ン」と 長い余韻を 残しながら響きわたります。
その鐘の音は、旅に出ている高揚した気 分にも乗っ て、
これまでの煩悩がきれいになくなり、今 年の願い事 が全て叶うような
希望の音にも聞こえるのでした。





         凍った道で転ばないために

 西高東低の冬型の気圧配置が続くと、釧路では毎日青天の日が続き、
ほとんど雪が降りません。今日も近くの小学校では校庭に作られたリンクで
スケートを楽しむ子ども達の姿が見えました。

 我が家の子ども達が小学校に入る前の話しです。
「小学校に入ったら冬の体育は毎日スケートで、できない子は困るらしい」との噂を聞き、
こりゃあ大変だと、さっそくその夜、スケートリンクがつくってある公園に
出かけることにしました。夜の公園にはもちろん誰もいません。

 車のライトを照明代わりにして、夜中の親子4人だけの奇妙なスケート教室の始まりです。
初めて滑る子どもと手をつなぎ、まずは歩く練習です。
 へっぴり腰で何度も転びながら周回しているうちに汗をかいてきました。
上着を脱ぎ、寒さも忘れて夢中になっているとなんとなく氷の感触になれて
転ばなくなってきましたが、「スケート、楽しいね」と言う子どもの笑顔は
なんとなく引きつっていたような気がしたのでした。

 そんな特訓の甲斐もあって小学校のスケート教室では困ることはなかったのですが、
次第にスケート靴を出す機会も少なくなり、高校生になった今では靴さえありません。
ただ凍った歩道を恐れもなく滑るように歩く姿を見ていると、
これがスケートをやった成果か、と思うのでした。




バスマニア

 モノトーンの釧路湿原を力強く走るSL「冬の湿原号」の風景 は、
道東観光の冬の風物詩となり、今年も多くの鉄道ファンでにぎわいました。
 
 この時期は休坂に宿泊されるお客さんにも鉄道ファンの方が多く、
夜の飲み会ではそれぞれの得意分野での情報の交換や自慢話しで、
一種独特な盛り上がりをすることがあります。

 そんなある日、「僕はバスマニアなんですよ」と自己紹介したのは
札幌からの来られたSさんでした。
 元々は鉄道ファンだった彼は次第にその対象をバスに移して、
今では各地の路線バスに乗るのを休日の楽しみとしているようです。

 「釧路の路線バスはいいですね」と熱く話し始めました。
 坂道の多い住宅地は展望の開けた場所が多いし、釧路湿原が見渡せる
国道のへりを走る路線や、海岸沿いを走り小さな漁村までのルートなど、
何度乗っても飽きないし、まだまだ乗ってみたい、と言います。

 地元に住んで買い物や通学の手段として、なんとなく利用している人にとっては、
「そんなとこあったけ?」と思える場所でも彼らにとっては立派な観光地なのです。

「もし一日乗車券とわかりやすい市内地図があれば一般の観光客も利用するかも」
と言い残し、今日もまた路線バスの旅へと出かけて行きました




  朝から一杯

 以前ある人に、「朝からまじめに酒が飲めるとこ ろは、この街にはないのかい?」
と聞かれたことがあります。
その時は思いあたるふしがなく、残念ながらお答え できませんでした。
今年で2年連続釧路を訪れたKさんの朝食は「いつ もの炉端」と決まっています。
朝8時からやっている水産加工場直営の海鮮炉端 は、
炭火がおこしてある各テーブルで、自分で焼いて食 べる方式の炉端です。

お好みの魚貝類を炭火の上に並べ、カップ酒を舐め ながら焼けるのを待ちます。
焼き加減はお店のおばちゃん達がめんどうをみてく れます。
「お客さん、去年も来てくれたっしょ」と、すでに なじみになったおばちゃん。

「魚の種類や焼き方を聞いているうちに、身の上話 にまでなってしまい、お酒を追加してしまいましたよ」。
とKさんは嬉しそうです。
今の時期は脂ののったトキシラズ、夏はイカ、秋の サンマなど、
一年を通して魚の街くしろを堪能することができま す。
ここなら自信を持って「朝からまじめに酒が飲める ところ」と紹介することが出来るでしょう。

ただしここは普段、ちゃんと食事をするところなの で誤解のないように。
お酒も飲めます・・・・ということですので。

http://www.geocities.jp/michikusa58/f/sakebannya/a.htm



サンマの魚箱

 関西から移住してきた友人から
「おにぎりせんべい(関西ではおなじみ)を見つけ ました。
タイガースのパジャマもあって感激です」との連絡 がありました。

関西を拠点に各地に支店を広げている衣料品店での 発見らしいのですが、
旅や転勤などで訪れた土地で、思いがけず出会う故 郷の品は、
幼かった頃の風景や味覚などがなつかしく思い出さ れます。


 数年前、実家のある鹿児島へ帰省した時のことで す。
近所のスーパーへ家族で買い物に行きました。
野菜や魚介類売り場では釧路では見かけない珍しい 品が多く、見飽きることがありません。

その時、「厚岸冷凍サンマ」と印刷された、あきら かに見なれた文字が目に入ってきました。
思わず「これ見て!」とみんなを呼ぶと、「あっ、 これお父さんが作った箱だ」と妻。

それは以前勤めていた魚箱製造会社で働いていた 頃、
秋の繁忙期に毎日残業しながら作り続けたサンマ箱 だったのです。
湿った木箱への印刷に苦労したことや、信じられな い数の注文を、
パートのおばちゃん達とまるで機械になったように 作り続けたあの時が甦ってきました。

こんな所で出会うとは…。
まるで故郷を離れて働きに出た子どもと再会したよ うな、
熱いものが込み上げてくるような一時でした。



自慢話

 私の出身校は鹿児島工業高校です。市街地からは市電で通学します。
一部の科に女子もいますが、ほぼ男ばかりです。
でも隣には女子高があったので市電の中 だけは共学になり、学校での突っ張った顔が妙にすました顔になります。

 毎日吹奏楽の練習に明け暮れ、あまり勉強した記憶がありません。
ただ、旅好きな倫理社会の先生が授業時間の大半をついやしてくれた旅の話は、
その後釧路 で民宿を始める動機にはなりましたが、もう30数年前の話です。

 あまり特色もないその母校に最近異変が訪れているようです。
それは、娘が大ファンのプロ野球ソフトバンクの川崎宗則選手(愛称むねりん)の出身校が我母 校であるらしいのです。
 当時の野球部は自他ともに認める弱体チームでした。甲子園の地区予選大会には吹奏楽部として応援に行くのですが勝ち上がった記憶がありません。しかもむ ねりんのようなカッコいい生徒はいない学校なのです。少なくとも私はそう思っていました。
 
 先日のニュースで鹿児島県の代表として甲子園出場が決まったとの報道がありました。初出場です。いつの間にか強いチームに変身したのですね。きっとむね りんのようにカッコいい選手が多いと思いますよ。応援してください。




 熟年の旅人

 今年も観光シーズンに入って、民宿休坂にも様々な旅人が訪 れています。
大学生や若い社会人が主流だった旅人の年齢層も年々上昇気味で、
最近は熟年世代の旅人も珍しくはありません。

 旅のスタイルも、のんびり温泉に入ってグルメの旅という若者に対して、
まるで巡礼のように体を張って「頑張る熟年旅人」の姿がとても対照的です。

 長野県から来られた60歳代男性二人旅のIさんとkさんは約二十日間の山歩きの旅です。
フェリーで早朝小樽に入り、その日のうちに石狩管内当別町の神居尻山にのぼり、
稚内まで移動。車中泊で次の日は礼文岳登山。
その後もほぼ毎日北海道の主な山を登り尽くし、
「明日は襟裳のアポイを登って、夕方苫小牧からのフェリーで帰るだけです」
と持参の焼酎を呑みながら旅の話をしてくれました。

「わしらねぇ、二十歳の時からこれまで、ひたすら会社のために働いてきたんですよ、
おかげさんで妙な体力が付いて山登りくらいではバテないんですわ」
と豪快に笑い飛ばします。

 忙しいのが好きだといいます。
帰ってからも撮り貯めた写真の整理や自作のホームページの作成で
のんびりする暇はなさそうです。
 その自信にあふれた顔には、自分たちが日本の高度成長期を支えたという満足感が漂っていました。



                                                              音楽の効用

   私にとって音楽は日常生活の中で欠かせないものです。
 特に、好きな合唱曲や管弦楽曲を聴いた時の鳥肌がたつ一瞬は、至福のひと時です。
今まで幾度もこの感動を味わってきましたが、違う意味での感動とその効用を知ったのは、思いも寄らぬ場所での出来事でした。

    30数年位前の冬、青森を夜中に出航した青函連絡船は、修学旅行中と思われる高校生で満員でした。最初は大声で騒いだり船内を歩き回る姿が見えましたが、 おりしも冬型の気圧配置で津軽海峡は大シケ。船は北西の強風にあおられて左右に大きく揺れ始め、そのうち高校生の船室からは悲鳴さえ聞こえてくるようにな りました。

    他の乗客もさすがに動揺し始めたその時、
「この船は風速○○メートルまでの風には耐えられますのでご安心下さ い」
  という船長のアナウンスの後、静かな弦楽器の調べが流れ始めました。

     ○○メートルまであとわずかなのに、との不安もよぎりましたが音楽の効果はてき面でした。
 私自身、気持ちが次第に落ち着ついていくのが実感でき、普段聴いている音楽の時とは違う感動を味わったのです。
  我に返って船内を見渡してみると、他の乗客たちもすっかり落ち着きを取り戻し、大きな混乱もなく無事に函館に到着したのでした。でも音楽は揺れない所で聴 くのが一番です。



                                                           「冬の散歩道」

 師走です。暖冬気味だった気候も最低気温が氷点下を示すのが当たり前になり、よ
うやく冬らしい天気が続くようになってきました。
 
  釧路の冬は毎日毎日、晴天が続きます。宿のある高台から眺める景色は、遠くに見
える雪をかぶった阿寒の山々も、赤い灯台で分けられた太平洋の外海も、すべて青の
濃淡で描かれた水彩画のようです。
 
 郵便局へ行く坂道の途中にある魚屋の干物は、いつのまにかシシャモからコマイに
変わっていました。近所の小学校の校庭にはスケートリンクにするための木枠が早く
も造られていますが、これも雪が降って、その雪で木枠の周りを固めないとリンク造
りはできません。
 
 石炭ストーブの煙のにおいも、冬の到来を実感させてくれます。今年は灯油の値段
が高いので、まきや石炭を使っている家庭が多いのでしょうか。
 
 街で用足しをした帰りは、必ず幣舞橋を通ります。ついこの前まで釧路川の両岸に
びっしりと係留されていたサンマ船やイカ船の姿はなく、所在なげな一羽のカモメ
が、「四季の像」の頭の上で羽を休めていました。
写真を撮るためにしばらくたたずんでいると、カモメの背中をオレンジ色から真っ
赤へと、冬の空がゆっくりと包み込んでいきました。                                  



                       

寒いのが好きなわけではなく

 
 妻が厚手のパジャマを買ってきた。今年は暖冬だといっても、やはり冬は寒い。
歳をとるごとに寒さを我慢したくなくなる。

結婚したての頃住んだ家は古い一 軒家だった。朝起きると、枕もとに置いた飲みかけのコップの水が凍っていたり、リサイクルショップで買ってきた五千円のばかでかいストーブの自動点火がす ぐに壊れてしまい、毎朝ネジをはずしてマッチで点火する羽目になっても、貧乏と厳しい北海道の冬を楽しんでいた。

「南の島で暮らしたいね」と、こ の頃話題になる。

独身の頃、北海道の暮らしをあき らめて南の島でしばらく過ごしたことがあった。でも最初の観光気分が過ぎて「生活」をしてみると、エメラルドグリーンの海も、島の料理も、自堕落的な暮ら しの中では、異物にしか見えなくなってしまった。その時、一番懐かしく思えたのが、霜が降りて白くなった牧草畑をパリパリと踏みしめて歩いた牧場の朝の空 気だった。もう一度、一生懸命働いてみたいと無性に思った。

 「冬の北海道はいいよね」などと言う旅人的な気持ちは少なくなったが、ドカ雪が降った後に香り 出す春の気配をかぎわける嗅覚は敏感になった。

                        




 

             旅にでましょう

  暖かい南風に乗って、まもなく春がやってきます。心うきうき、じっとしていられない気分になります。

 急に島へ行きたくなり、とりあえず片道切符を買って、伊豆の小さな島に行ったのは連休の最中で した。春の花が満開の島での数日はまたたく間に過ぎていきました。

帰りの日の切符を買いに船着場に 行き「満員です」と言われた時、初めて船にも定員があることに気がつき焦りました。「甲板でも、どこでもいいのですが・・」と交渉してもまったく受け付け てもらえません。仕方なく職場に連絡し、もう一日休ませてもらう事にして、次の日の朝は早くから切符売り場に並びました。

列のすぐうしろに並んでいた美し い姉妹と親しくなったのは、同じ境遇での連帯感だったのでしょうか。強烈な匂いの魚の話や、島で過ごした数日間の思い出をネタに、話は船旅の途中も尽きる 事がありませんでした。

ビールを飲みながら甲板に出ると 春の風が、ちょっと酔った顔に心地よく、時間がたっぷりのひと時は、旅の終わりを実感させてくれません。

きままな旅でのハプニングも、忘 れられない思い出でになったのです。

                                     



                                    

                                 ちいさな旅

  ちょっと旅気分を味わってみようか、と思いたち、釧路から一時間くらいの所にある港町に汽車で行ったのは、子どもたちが小学校の低学年の事でした。小さな リュックにそれぞれがお気に入りのものを詰め込み、4人掛けの向かい合わせ椅子に座ると気持ちは旅人になります。

 普段見慣れている街の風景も、汽車の窓からだとまるで知らない街に見えてしまうから不思議で す。

右側に眠そうな海が見えてくると まもなく目的地に到着です。特に観光地でもない商店街をブラブラ散歩。休日なのでたいがいの店は閉まっていますが、それでも商売熱心な衣料品店にはついつ い入ってしまいます。年配女性向けの洋服が多い店からは漁業の街ならではの雰囲気が漂ってきました。

すこし歩いて派手な店構えの前に 来た時、「ねえ ちょっと入ってみない?」といたずらっぽい顔で言い出したのは妻でした。一人二百円だけと決めた玉はあっと言う間になくなってしまいまし たが、思わぬところで大人の世界をのぞいたみたいで緊張したのでしょうか、店を出るときは子ども達の頬がまっ赤でした。

連休の後半、身近な所への汽車の 旅はいかがですか?きっと楽しいこどもの日になりますよ。

     



         

                         帰郷

 

母を見舞うため、久しぶりに鹿児 島に帰ったのは5月の中旬でした。

釧路のストーブが離せない生活が ウソのように、街路樹は濃い緑の葉に覆われ、行き交う人々はすっかり夏の装いでした。市内のどこからでも雄大な桜島の姿が眺められ、歴史的建造物の多く残 る鹿児島は一級の観光都市です。

 母校の小学校が見てみたいと思い、その頃住んでいた所まで路面電車を利用して行ってみました。
40
年前は庶民的だった場所も、今では高層マンションが建つ閑静な住宅地になり
昔の面影はほとんどありませ ん。
それでも記憶をたどりながら歩いていると、習字の筆を買い忘れ学校に行く前に慌てて買った文房具屋や、公園の角を曲がったところにある銭湯などが見つ かり、その頃の記憶が一気によみがえってきます。

そういえば高校に入学した時、 「記念に腕時計を買ってあげるから」と突然言われ、母と二人で近所の時計屋に買いに行った事もありました。青い文字盤のその頃流行っていた時計は、貧しい 生活だったこともあり決して安い買い物ではなかったはずです。

 夕方、ベッドで横になっている母にその事を話すと「なんにもわからんよ、もう忘れた」と微笑み ながらつぶやきました。

                                                                                



                 

 海霧の音

 ポ タリ、チャポーン パラパラ、パラパラ・・・

あれ?また雨かなあ、確か天気予報は晴れだったのに・・
軒先から聞こえてくるのは海霧が水滴となって落ちてくる水音です。
ジリと呼ばれる濃霧は初夏の道東の風物詩です。湿度はほぼ100%、洗濯物は乾かない。
傘をさすまでもないけど、「せっかく整えた髪の毛はグチャと台無し」と女子高生たちは嘆きます。けれど気温が低いので、本州などの梅雨時にありがちな、 べっとりした湿気が体にまとわりつくような不快感はありません。

 以前この時期に、釧路湿原が見渡せる展望台にお客さんを案内した時のことです。
その日もやはり濃霧でした。一瞬でも霧の隙間から湿原が望めたらと微かな期待もむなしく、見渡す限り真っ白な空間が広がるだけです。
「あの辺に釧路川の蛇行があって、そのうしろには雄大な湿原が拡がっているはずですが」
と説明をして帰りかけると、
「もう少しここにいてもいいですか」
と彼はそこを離れようとしません。
笹や木の葉に水滴が落ちる音を聞きながら湿原の風景をイメージしていると何か書けそうだ、
と作曲を生業にしている彼は一人創作の世界に入り込んでいたようでした。

 私達が無意識に聞いているジリの水滴と霧笛の音は、どのような音楽になって戻ってくるのでしょ うか。


                                                                        



                     

この夏の旅人事情

 

 「旅人が減りましたよね」が宿主同士のあいさつになって久しくなりました。今年も8月なのに暇 な日が続いています。特に若い旅人が少なく、「なぜ若者は旅をしなくなったか」が飲み会の話題になります。

 携帯電話代がかかり過ぎて旅に出るお金がない。他人とのコミュニケーションが苦手で、出会いそ のものに魅力を感じない。他人と一緒の部屋に寝る相部屋なんて考えられない。
などなどいろんな意見が出ます。ただしこれはおじさん達の発想で若者に聞いた わけではありません。
若者は熱い議論を交わしている横で携帯メールに没頭してますので。

 そんなある日、網走から釧路まで211キ ロを歩いてきた熟年のご夫婦が泊まってくれました。
120キ ロくらいをゆっくり時間をかけて歩くようです。どんな話をしながら歩くのでしょうか。
目的地に無事に到着して、お互いの体を気遣いながら、旅の思い出話を する姿は、
携帯をいじっていた若者にも新鮮に写るらしく
「ウチの両親からは想像できないですよ」
と言いながらリュックの重さや靴の性能、宿泊場所などを熱 心に聞いています。
「こんな旅があるなんて初めて知りました。今度は彼女と一緒に歩きに来るかもしれません」
と眼を輝かせていました。

                                                                    



                      

             暮らしてみる旅

 

 旅の途中、思いがけず親切にしてもらった時や、何気なく歩いていると、びっくりするような夕日 に出会った時など、「ああこの街に住んでみたい」と思う瞬間があります。でも日程は決まっていますし、ほとんどの人は旅を終えて日常の生活にもどっていき ます。

 帰らなくてもいい旅を続けているのは、東京から来られたYさ んです。職業は翻訳家です。ネットが接続できる環境と図書館があれば仕事ができるといいます。

 すでに旅に出て2ヶ月。その間メールなどで仕事が入ると泊まった宿、滞在している場所で仕事を します。時々仕事が詰まってくると、天気のいい日でも、夜の呑み会の最中でも集中して仕事をすることもありますが、終わってしまえば旅の途中です。街歩き の旅が好き、というYさんは紅葉の始まった秋空の街へと出かけていきました。

 そういえば映画「男はつらいよ」の寅さんの暮らしも仕事をしながらの旅ですよね。この映画が日 本人に人気があるのは、寅さんの社会に束縛されない生き方、気に入ったところで「ちょっと暮らしてみる旅」へのあこがれもあるのではないでしょうか。

 通過するだけの旅と、暮らしてみる旅。同じ景色でもちょっと違った色にみえてくるかも。

                                                                   



             

      茶碗蒸の歌

 

 「♪んだもこーらー いーけなもんな  あーたいげーどん茶碗なんだ」で始まる茶碗蒸の歌。
私の故郷、鹿児島県出身の人がほとんど知っている不思議な歌です。
この歌の内容は、昔鹿児島を訪れた旅行者が「茶碗蒸はあるか」と尋ねたところ、
茶碗蒸を食べる食文化がなかった鹿児島の人が「茶碗蒸とは茶碗についた虫のことか?」
といった他愛のないものです。小学校の音楽の授業で教わり、何故か歌い継がれています。

先日、宿を訪れた友人たちと出身 地のことで話が盛りあがり、この茶碗蒸の話題になった時
「その歌知ってます」と言ったのは釧路市内の短大生Sさんでした。
彼女の母親は鹿児島県出身で、若い頃北海道の牧場にあこがれ、
今は別海で酪農を営んでいるそうです。
「お母さんは故郷のことを思う時いつも歌っていたようですよ」とSさん。
彼女にとっては子守唄がわりだったのでしょう。いつの間にか覚えてしまったそうです。

鹿児島弁はかつての薩摩藩が外敵 を見分けるために、同じ九州でも違うイントネーションと独特の方言を作り上げたと言われています。過去に不幸な使われ方をした方言が、今では「茶碗蒸の 歌」となって歌い継がれ、同郷の人を探す合言葉になるなんて、郷里の人たちはなんと粋な計らいをしてくれたものでしょう。

                                                                            



                                                     

          柚子(ゆず)

「本当にすごい田舎だから」と言 われ、山梨県にある妻の実家に行ったのは、結婚の承諾をしてもらうのに、初めてご両親に会うためでした。

車がすれ違うことができないほど 細い曲がりくねった道を約1時間バスに揺られると、数軒の民家とバス停の前に雑貨屋を営む妻の実家 がありました。

 「どこの馬の骨かわからない人と娘を結婚させるのは心配だよう」と初めて会ったにも関わらず義 母は遠慮なしに言い放ちます。その横で義父は「自分たちの娘が選んだ相手だからいいじゃないか」と義母をたしなめながらも、ひっきりなしにタバコを吸って いました。

 病気がちだった義母にかわり、幼少の頃の妻は義父に育てられました。それだけに披露宴での義父 の挨拶は涙で途切れがちでした。

 義父が庭に柚子の木を植えたのは、妻が高校を卒業して実家を離れた後だそうです。今年も柚子が 送られてきました。「今年は豊作でたくさんの実を付けたよう」と義母が電話で言っていました。柚子は植えてから実を付けるまで18年もかかるそうです。皮も実も一緒に千切りにして砂糖で煮た柚子に熱いお湯を注ぐと、濃厚な甘酸っぱさが のどを刺激します。遠く離れて暮らす、義父の娘への思いが、長い年月をかけて育った実となって送られて来たようでした。